冬のひまわり 鈴鹿サーキット発の恋愛小説

五木寛之さんの小説「冬のひまわり」(昭和63年発行の新潮文庫)を読みました。この作品自体は昭和60年(1985年)の刊行です。

ラブストーリーの始まりは1964年、18時間耐久レースが開催されていた鈴鹿サーキット。メインスタンドの端のほうで、遠くに海が見渡せる場所で二十歳と十六歳の2人が出会う。

冬のひまわり:五木寛之

鈴鹿に来るのに男が乗ってきたバイクはホンダ CBM72。ですが、これはCB72だと女に嘘をつく。「ほら、ちゃんとバーハンドルがついているだろ」と弁解気味たことを言いながら。ただ、女はそれが何を意味するのかさっぱり分からない。

ステップもさげていたようです。男は本当はCBが欲しかったけど、いろいろ事情があってCBMに。

男は女をバイクの後ろに乗せて、鈴鹿から女の家がある京都山科まで送っていく。女はタンデム初体験でしたが、男からその要領を教示してもらい、慣れてくると男との一体感を得るようになる。

家に着い時には両腿の内側に火照るような感覚が残る。4サイクルOHC並列2気筒エンジンの影響でしょうか。そして、こんどはいつ彼に会えるだろう、と考える。

以後、二人は年に一度の耐久レースのさいにその場所で会うことになり、様々な事がありながら、関係は1984年の8時間耐久まで続きます。

その20年の間に鈴鹿の耐久レースも変遷しました。二人が始めて会った翌年の1965年は24時間の争いになり、'66年は11月に開催された。

12時間に短縮された1967年は、男もお気に入りのCB72が優勝。1968から10時間に変更され、その翌年はCB750がワンツーゴールをきめた。

1974年からの3年間はオイルショックの影響で中止。1977年に6時間で再開され、翌1978年から現在も続いている8時間の国際レースとなる。

二人にとって最後の鈴鹿となった1984年の8耐はRS750R、マイク・ボールドウィン/フレッド・マーケル組みが征しました。一方、40歳になっていた男は体力が8時間持たず、女が来る前にリタイアしてしまいました。男の気付きと決断が、年齢的に遅すぎた事がまねいた結果だと思います。

夏の8耐を現地で完視するのは若くても大変です。私はテレビ観戦です。

スポンサード リンク