鈴鹿8時間耐久 1995年のラッキーストライクカワサキ

鈴鹿8耐 1995年 カワサキ

1995 Suzuka8H Kawasaki Racing Teamと題した動画がYouTubeに投稿されています。1995年鈴鹿8時間耐久レースのスペシャルステージでの、カワサキワークスチーム「ラッキーストライクカワサキ」のタイムアタック映像です。

ライダーはゼッケン1がアンソニー・ゴバード/北川圭一ペアで、ゼッケン2が柳川明/藤原克昭ペアです。バイクはカワサキワークスの耐久仕様ZXR750R。

1995 Suzuka8H Kawasaki Racing Team

映像にあるように、ゼッケン1を付けたカワサキのエースチームのアンソニー・ゴバードが2分11秒230でポールポジションを獲得しました。ゼッケン2は柳川明が2分12秒159で予選4位でした。

ラッキーストライクカワサキのライダー

当初の予定ではアンソニー・ゴバードのペアはスコット・ラッセルでした。そしてこのペアはホンダの対抗馬として優勝候補にも挙げられていました。

この年、ラッセルはカワサキ系のチームマジーからスーパーバイク世界選手権に参戦していましたが、シーズン途中で契約を突然破棄した。そして、現役引退を表明したケビン・シュワンツの代役としてスズキと契約し、世界GPに参戦しました。その時にこじれたカワサキとの関係を修復する為にスズキとラッキーストライクも動いて、ラッセルがカワサキから鈴鹿8耐に参戦する事になった。カワサキのために頑張りますので訴訟なんて事は止めてください、といったところでしょうか。

しかし、ラッセルは鈴鹿8耐直前に行われたイギリスGPのフリー走行で転倒負傷したために、8耐欠場となってしまいました。その代役として、こちらも全日本選手権を負傷欠場していた北川が急きょ抜擢された。元々、北川が欠場するので第3ライダーだった藤原が柳川のペアに昇格していました。藤原は8耐初出場。

結局、決勝レースは北川がダンロップで転倒して後退し、ゴバード/北川ペアは13位に終わりました。一方、柳川/藤原ペアは安定した走り。しかし、ホンダを捕らえることは出来ず、1-2位はホンダワークスが独占しました。柳川/藤原ペアは、レース終盤のヤマハとの争いに藤原が競り勝って3位を獲得しました。上位4チームが新記録となる212周をマークしたハイスピードバトルの8耐でした。

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